ネットでの言葉の強さについて
こんばんは。今日はお気に入りの場所にいけなかったこぺぱんです。
ツイッターを見ていたら『人身売買』という物騒な言葉がトレンドに入っていてびっくりしました。
どうやら『Vtuber』の『アバター販売』をしているサイト内で販売されているキャラクターがほぼほぼ女性型の販売だったことから、とある方が
『これは女性を販売している。人身売買である』
と発言したようで、それに各種著名人、Vtuberやそのファンが反応してわったわたになっていると。
私がこの話で気になったのはそのVtuberうんぬんではなく『人身売買』という言葉です。
先日、アメリカで30人以上の行方不明の子供たちが売られる直前に見つけられたという報道がありました。今も人身売買、少し前だと中国への花嫁販売が話題になりましたね。
いろんな形で経済的、肉体的に立場の弱い人間が人権を無視されて不当な扱いを受け、家族と引き離され、望まない行為を行い、または行われ、最悪殺害されています。
私は、この上記の現状を見て、中身が入る前のアバター販売(いわばブログで言うと記事を全く書いてないからっぽの状態)を『人身販売』というにはあまりにも次元が違いすぎると感じました。
そのアバターは買われた後不当な扱いを受けるわけではありません、殺害されるわけでもありません。中に人が入り、動画で「こんにちはー」というだけです。
例えば、美少女ばかりのVtuber業界について異議を申し立てるのであればまた別の言い方があるはずです。
それが『人身売買』という残酷で、現実に起こっている悲惨な現状を表す言葉で表現されたことで一気に話題が広まりました。
…よくない傾向だな。と思います。
強い言葉、誰もがビックリするような言葉は人目を惹き、話題になりやすくします。
しかし、蓋を開けてみるとまったく違う本質が見えてくる事も多々ある事です。
今回の件はまるで週刊誌の見出しのよう。
むしろ週刊誌は売る対象が限定されている、あとは取材を行っている分常識的なのかもしれません。
ネットというインスタントに情報がやり取りされる中では人目を惹くことが重要ですが、それで本質を表していない強い言葉を使うのはいかがなものでしょうか。
どの界隈でもそうですが、仲間内での『言葉のチキンレース』(より危なく、強い言葉を言ったほうが話題になる、もしくは『面白い』)が表立っていませんでしょうか。
ブログを始めたばかりの自分の自戒もありますが、どんな界隈においても話題性を優先させた強い言葉を使うことで、正しい事柄が表現できないようにはなりたくないと感じた事件(?)でした。